昭和17年(1942)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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1.11 新潟市役所庁舎竣工。 1.16 大日本翼賛壮年団結成。 2.1 衣料に点数切符制実施。 11.29 井上英市長再任。 昭和17年2月現在。 新潟市医師会長 難波剛平、副会長 荻野久作(104名) 12.28 新潟市医師会は国民医療法に基づき新潟県医師会新潟支部となる。 支部長 難波剛平、副支部長 荻野久作(105名)、事務局 上大川前十一 林真爾方 この年の頃より、防空壕の強制施行。青少年、国防婦人会の竹槍訓練実施。 |
3.23 翼賛政治体制協議会県支部を結成。 4.18 米軍機日本本土初空襲、1機は新津郊外の羽越線鉄橋附近に投弾。 5.15 大日本婦人会新潟県支部結成。 12.23 国民医療法に基づく新潟県医師会設立認可。 会長 布川興策。 |
1.2 日本軍マニラ占領。 1.7 閣議にて日本医療団創立を決定。 2.15 日本軍 シンガポール占領。 2.25 国民医療法公布。 4.15 日本医療団令公布。 4.18 米軍機日本本土初空襲。 8.10 第一次ソロモン海戦。 11.6 日本医師会解散総会 |