年表

新潟市医師会のあゆみ

昭和42年(1967)
新潟市医師会及び新潟市内関係 新潟県医師会及び
新潟県関係
国内他

3月 松浜漁港震災復旧

 42年度新潟市医師会

 会長 島田修二 副会長 宮尾正雄

 理事 古沢東松、桶谷勇策、眞板秀夫、松元 寿、

 大森幸夫、相田誠一、堺薫、岡田正雄、

 唐津英作、佐野宣正、本間ムツ、眞島正

4.30 胃カメラ講演会が県医師会館4階で午後2時より開催、5月より9月まで会員各自の実施回数4〜5回の実習を行った。

5.19 健保法改悪反対総決起大会が三師会主催で県医師会館で開催。

6.1 新潟港特定重要港湾指定。

 新潟水俣病 訴訟に発展。

7.8〜8.31 新潟開港100年、震災復興記念大博覧会

7.14〜8.27 新潟博覧会救護所の医療業務に協力。

7月 ハバロフスク市医師使節団との交歓。

1.1〜4 県下に昭和38年につぐ豪雪 上信越線麻痺。

2.25 新大に脳研新設。

3.10 柏崎市の国立重症心身障害児収容施設完工式。

4.2 新潟県医師会互助事業部会設置、40年4月1日の規定は廃止される。

1.12 日本血液銀行協会 4月からの売血全廃を決定。

1.16 この日公布された法律は4月1日より新たに運転免許をうける者、および3年ごとに更新する者も医師の診断書が必要となった。

2.3 医学教育研修懇談会インターン制度廃止の意見書を厚生省に提出。

2.17 日医インターン制度反対を決議。

3.12 青年医師連合インターン制度に反対し国家試験をボイコット。

4.5 岡山大学 小林教授イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所の廃液が原因と発表。

4.15 東京都知事に美濃部亮吉当選。

5月 健保法改正反対の全国大会、日比谷公会堂で開催。

6.5 中東戦争 6日ア連合スエズ封鎖 7日イスラエル、エルサレム旧市占領。

7.28 ラジオ受信料廃止。

8.3 公害対策基本法公布。

8.7 衆議院本会議健保特例法修正案可決(18日成立)。

9月 薬価基準引き下げ。

9.1 四日市ぜんそく患者9名が石油コンビナート6社に慰謝料請求訴訟を起こす。

9.10 第43回医師国家試験 7,204名受験東大生全員ボイコット。

10.1 薬価基準10.2%引き上げ。

10.8 佐藤首相第2次東南アジア訪問に反対し反日共系学生の抗議デモ、1人死亡(第1次羽田事件)。

11.12 首相訪米に出発反対学生警官隊と衝突(第2次羽田事件)。

12.1 点数改訂、医科平均7.65%引き上げ。

12.3 世界最初の心臓移植手術がケープタウンでおこなわれた。

8.28 下越に集中豪雨、再び加治川堤防決壊。死者137人(8.28水害)。新潟市も被害甚大。

8.28〜9.2 大形地区水害に救護班出動、医師12人、看護婦7人

 本会会員の被災状況

 床上浸水 3件、床上すれすれ程度 4件、 床下浸水 9件

9.12 信楽園病院、全国初の医学管理特別養護老人ホーム松風園を併設。

10.1 新潟−上野間特急所要時間 3時55分となった。

10.20 第1回救護活動委員会 出席 委員9名、役員10名

11.3 新潟日報文化賞、山内新大学長授賞式。

11.22 震災復興記念 県民会館落成。

11.26 新潟市医師会臨床懇話会 第3回総会

12月 北鮮帰還 第155次船で終了。

12.5 新潟市白山浦の電車軌道移転問題で、黒埼村など沿線市町村が協議、現在のまま存続で意見一致、振り出しに戻る。

12.14 関屋分水工事、新潟市浜浦の可動セキ建設地でクワ入れ式

8.30 厚生省 新潟水俣病の原因を昭和電工の廃液によると結論。

9.28 上越線複線化完成。

10.31 日本石油柏崎製油所閉鎖。

 成人病予防協会の結成初代会長に広神伊藤就任。

12.10 県、有機水銀系農薬とホリドールを来年から使用しないよう、病害虫予防指針を改定。

12.18 厚相、日本耳鼻咽喉科医会連合代表と会い、技術尊重の原則に立ち、抜本改正のさい考慮で意見一致、保険医総辞退を撤回、覚書交換、解決。

12.19 インフルエンザ全国的に広がる。16都道府県399校で学校閉鎖、患者数5万1,820人