年表

新潟市医師会のあゆみ

昭和55年(1980)
新潟市医師会及び新潟市内関係 新潟県医師会及び
新潟県関係
国内他

1.30 県医師会代議員、予備代議員が、選出された(55.3〜57.2)。

代議員
桶谷勇策、松元寿、熱田修、新島旭、武藤輝一、布施栄信、荻間勇
予備代議員
中野博、石田卓也、渡部義一、近藤有好、半藤保、角田弘、笹川力

3.28 救急医療情報システムが始動した。県内100個所の医療機関に端末機が設置された。新潟市内には病院32個所、有床診療所5個所に設置された。

3月 昭和55年度班長 副班長の改選が行われた。

4.1 「ねたきり老人訪問看護制度」が発足した(新潟市訪問看護制度)。

4月 本年度から3才児の健康診査に協力することになった。

4.29 前会長島田修二叙勲、勲5等端宝章が授与された。

5.26 新潟市地震対策研究会

6月 病院、診療所を狙う盗難事件頻発。

7.6 准看護学校20周年同窓会がオークラホテルで開催された。

7月 労働条件等の自主点検アンケート方式により行われた。

8月 「医師意見調査」がアンケート形式により行われた。

9.29 「新潟市医療圏緊急医療対策会議」打ち合わせ会。

10.10 新潟市の人口が45万人の大台を超え45万91人となった。

11.3 元県立ガンセンター新潟病院長 木村元、勲3等端宝章を授与された。

11.22 高山照三、石山茂、鏡淵潜、学校医勤務25年にて市長表彰を受賞。

11.30 第38回新潟市医師会通常総会

1.2 佐渡沖でパナマ船が沈没、乗組員8人が死亡、11人行方不明。

2.19 君知事が県庁舎移転で新潟市の日軽金跡地を公式表明した。

5.1 病院・診療所に対する急患の「緊急駐車標章」出来る(新潟県医師会)。

9.21 第26回新潟県医師会定例総会。

9.27 県歯科医師会館竣工式。

9.27 東港周辺で防災訓練。

11.5 上越新幹線の試運転列車11両が新潟〜長岡間を1往復した。

11.16 55年度日医医学講座(長岡市)。

11.26 「55年国勢調査の県人口は245万1,357人」と県が発表した。

11.30 55年度日医医学講座(新潟市)。

12.3 巻原発補償で東北電力、巻町、間瀬漁協が39億6,000万円で合意した。

12月 新潟大学旭町構内のラットを使用している研究者に韓国型出血熱が発病。

12.28 上・中越地方に大雪。上、信越線の列車65本が運休した。

1月11日 厚生省、発ガン性の確認された過酸化水素の使用制限を要望、実質的使用禁止となった。

1.21 ソ連、ノーベル平和賞のサハロフを国内流刑にした。

1.29 日医「ねたきり老人問題委員会」の設置を決定。

2.1 政府、モスクワオリンピックへの日本不参加を決定。

4.1 日医定例代議員会、武見会長13選。

5.1 医薬品副作用被害救済制度発足。

5.19 衆議院解散、健保法改正案は審議未了のまま廃案。

5月 WHO天然痘根絶宣言採択。

6.12 大平首相、急性心筋不全で急逝(72才)。

6.22 衆参両院同日選挙、自民が衆院284、参院69議席確保し、圧勝した。丸茂候補、当選(全国区24位)。医界から 12人当選。

7月 1日より母子健康手帳の一部が改正され、全国統一規格となった。

7.1 厚生省・社会保険庁、医療費通知実施を通知。

7.17 第92特別国会招集、第70代首相に鈴木善幸総裁を指命した。厚生大臣には斎藤邦吉就任。

9.19 斎藤邦吉厚相が辞任し、園田直後任として就任。

11月 国保医療費通知運動。

11.28 健保法改正案成立(主な内容は本人一部負担の増、家族入院8割給付)。

12.1 日医会員数
99,899名。

12.10 健康保険法等改正法公布、(家族は外来7割、入院8割で、本人は初診時一部負担金800円、入院時一日500円など)。

12.27 「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」公布、(赤字ローカル線の廃止など)。

 この年、自動車生産台数1,104万2,884台に達し、台数で米国を抜き世界第1となる、粗鋼生産量も1億1,141トンで米国を抜き、資本主義国で第1位となった。