明治3年(1870)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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3.27 元新潟町、会所(新潟市役所)は、本町通り七番町に在りしが、県庁内に移る。 4.2 町会所を改め新潟町役所と称する。 4月 新潟毘沙門島(松浦久次の別荘)に所謂共立病院(仮病院)を開設、軍務官診療師 竹山屯を一等主医とし、種痘、施薬、医育を行なわせる。仮病院の経費は港沖金(スアイ)と稱する港の収入により支辨す。 11月 新潟町のこの病院を寺町通四の丁に移転する。この病院は極貧者に施薬する(研究事業としてこの病院で人体解剖を行い、一般の医師に参観せしめる)。 |
3月 旧新潟奉行所跡に新潟区西堀通五番町866番地に最初の県庁舎が設置される(1870〜1880)。 6月 平松時厚、県令着任。 7月 大河津分水起工。 10.22 長岡藩廃され柏崎県へ合併。 |
4.24 全国各府県に種痘を施行せしめる。 5月 大学規則及び中学小学規則を発布する。 12.23 太政官布告を以て売薬取締規則を発布する。 12月 この年金沢、岡山、熊本、新潟に病院設立、医学校附設する。 |