明治9年(1876)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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2月 内務省乙第5号の達に基き、新潟町医師学術試験施行。 二橋元長、新潟病院院長解任。院監兼医長の白井剛策病院長に就任、副区長兼助教授竹山屯を副院長に、小石第二郎を護長に、中村卯一を調剤掛に高尾宗次を当直医に任命する。 副直医石田雪三の就任に際し、長谷川祐斎 副直医に任命され、武者春道 当直医に就任する。 4.5 私立新潟病院を「県立新潟病院」と改称する。 6月 新潟梅毒病院を旧陸軍兵舎に開院。 9.18 県布達62号、349号(丙)をもって新潟病院に開業産婆及び産婆志願者に対し講習を開始する。 |
1.12 医師開業試験に関し府県に達。 4月 内務省乙第五号布達により県下開業試験施行される。 4.18 相川県は新潟県に合し、新潟県が一つになる。 5.18 県下の検梅(黴)院設置の規則が制定され、新潟、新発田、中条、五泉、新津、三条、長岡、柏崎、出雲崎、寺泊、高田、直江津、相川と遊廓のある13ヵ所に検梅院が設置され1〜4人の医師が配置されて性病予防検診にあたった。 7月 オランダ人医学教師のアンデル・ヘーデン及び竹山屯、小石第二郎は長岡で恙虫病患者の治療に当る。 |
1.12 内務省医術開業試験実施の件を各府県に布達。 3.28 廃刀令を制定。 4月 各府県に令して娼妓の検梅法を実施せしめる。 5.18 天然痘予防規則制定。 7.10 脚気病院を設立(洋方、漢方医が治療にあたる)。 |