明治20年(1887)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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1月 天然痘流行して小学校2週間休業す。 2月 『北越医会会報』第一号発刊(隔月刊)。 3.15 大日本私立衛生会新潟支会は規則を改正し、下水道構造等を議し、集会を以後毎月とする(会員500余名)。 |
8.19 三條大崎山でわが国最初の日蝕観測が行なわれる。 (皆既日蝕) |
6.30 中央衛生会、上下水道布設促進の建議提出。 3.23 所得税法公布。 12.26 保安条例公布。 12.31 其筋の取調べによれば民籍の人口総数3千9百万6千97人(男千9百73万千354人、女千9百33万7千653人)その内100才以上44人、101才11人、102才10人、103才16人、104才9人、105才4人、106才2人、110才1人也。 |
5月 新潟区組合 組長 竹山屯、役員 小林鶴松、玉井元道、鏡渕意伯(医師数62名)開会月(1.4.7.11月) |
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8.19 勅令48号で全国5ヵ所(千葉、金沢、岡山、長崎)に高等中学校の医学部を設け、国が統一した医学教育を行なうようになる。このため県立医学校は廃校されることになる。 12月 大風、新潟市の高等科新潟小学校壊倒。 |
11月 日本赤十字新潟地方委員部発足。万国赤十字同盟に加入し、社則を改め、博愛社を日本赤十字社と改称する。 |