明治22年(1889)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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2.11 新潟区の大畑通神宮に於て憲法発布祝賀式を執行する。 3.19 新潟日日新聞 代価1ヵ月分金廿銭、1枚、金九厘。 |
4月 新潟県下の市町村数1千593から816になる。 9月 県下の医師の数、総計1千531名(大学卒業…7人、成規試験…106人、本県医学校卒業の者…56人、奉職履歴…45人、従来開業…1千263人、別課医学卒業生…0人)。 12月 千田貞暁、県知事に着任。 |
2.11 大日本帝国憲法発布。 3.27 薬剤師試験規則、薬品巡視規則を制定、毒劇薬品目を指定。 6.10 陸軍士官学校条例公布。 10.10 大隈外相襲撃さる。 |
4.1 新潟市制施行。新潟区全部230町を合併して新潟市となる。 |
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4月 新潟区に関屋村古新田を合併して市制を施行し、新潟区役所を新潟市役所と改むる。5月小倉幸光、初代の市長に就任する。 4.1 区立新潟病院を市立新潟病院と改称する。之から22年間市立病院と称して名声を揚げる。 5月 産婆組合会頭に長谷川寛治、就任する。 5.26 信濃川出水。古老の談には十年来未曾有の大水なりと、見方町特に甚し。 |
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明治22年末の新潟市の人口4万3,911人、世帯数1万62世帯。面積は現在の約6%。 |