明治26年(1893)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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1.14 新潟市医師組合会「種痘普及の方法」を主題にして懇談す。組長 竹山屯、幹事工藤彦美、田代亮介が当選。 1.26 新潟市の種痘施行、告示甲第2号を以て開業医師15名に種痘施行嘱託す(昨年1年間種痘医の施行せし人員4千人、又市役所に臨時に施行せし者1千500人)。 4.30 長谷川病院、西堀通七番町に長谷川寛治、開院式。 8.14 西堀前通八番町より出火、妓楼その他385戸延焼。この月これらを貸座敷娼妓家業区域外とし、残存業者に限り5年間の営業を認め、明治31年8月21日までに妓楼を市の北隅の一地域に集める方針を確立する。 12.31 新潟市の人口4万9千33人。 12月 新潟避病院は新潟県会の予算の削減により、新潟市は廃止する。 |
4.1 信越線、高崎―直江津間全通(本州中部横断連絡成る)。 5.27 信濃川大出水。 10月 千代田艦長有栖川宮威仁親王殿下、五艦を率いて御入港。 11月 新潟県新潟尋常師範学校新築、落成(旭町通二番町、常盤岡)。 |
4月 大日本医師会創立。 10.31 地方官官制の全面改正により衛生事務は警察部の所管となる。 11.9 衛生局衛生課を保健課と改称。 この年禁酒運動及び廃娼運動起る。 この年痘そう大流行(全国で死者1万1千852人)、赤痢も大流行(死者4万1千284人)。 |