明治29年(1896)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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4月 北越医会は本部を東京から新潟に移す。会頭竹山屯。理事、池原康造、長谷川寛治、若杉喜三郎、和辻春次、川俣四四男也、田代亮介、浅田決。 5.31 新潟市医師組合会 黒岩福三郎の「トラホーム」その他若杉喜三郎、長谷川一詮の演説あり。 6.9 新潟市本町一番町に再帰熱1名発生す。医師組合長竹山屯は特に公衆の為、予防消毒の指導をなす。 7.12 陸軍大将小松宮彰仁親王殿下同妃両殿下、日本赤十字社新潟支部発会式に御臨場。 7.21 新潟市大洪水、古町の一部を除き全市5日間湛水。 10.11 新潟市衛生会総会、田代亮介「赤痢に就いて」演説す。 |
2.6 浅田徳則、県知事着任。 7.11 痘苗売下規則が定められ、新潟県は東京痘苗製造所から売下を受けることになって痘苗の質も一定化した。 7月 横田切れなどで全県下大洪水、流失破壊1万余戸。 10.1 新潟―浦塩定期航路開設。 11.12 歩兵第三十聯隊を村松に新設。 |
4.7 医師開業試験委員の官制を公布す。 5.14 ジェンナー種痘発明百年記念式典開催(東京上野)。 この年赤痢大流行し全国の死者22,356人。 |