明治38年(1905)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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1.4 新潟市医会は産婆学校内に開会し、役員改選、会計報告をなす。 会長 長谷川寛治(重任)、副会長 長井千尋。 幹事 田代亮介(重任)、中村庸(重任)、木下文平 8.8 暴風雨の為信濃川増水し、新潟市内の浸水家屋約1万戸。 10.5 新潟師範、新潟中学、新潟商業の三校ボートレースで中学・商業紛争もつれて、11月6日乱闘事件に発展し、双方とも重軽傷を多数出す。 11月 新潟健康舎設立(後に新潟臨港株式会社と改称、新潟臨港陸運送の前身)。 |
3.14 長谷川寛治、県会議員に当選(公共の念極めて厚く、市の政治団体の会長として、市の公益事業にもつくす)。 6.25 県医会総会、市役所楼上に開会 会長 長谷川寛治、副会長 瀬尾原始、幹事 工藤秀一郎、長井千尋、長谷川一詮、高橋辰五郎、中村庸、帝国聯合医会に加盟すること否決す。 6.26 県令第25号恙虫病届出に関する公布。 |
1.1 旅順のロシア軍降伏、1月5日乃木・ステッセル水師営で会見。 2月 帝国議会に脚気病調査に関する建議案上程可決。 3.8 医師免許規則一部改正、新たに文部大臣の指定した私立医学専門学校卒業生に無試験で医師開業免許状を授与。 4.3 日本花柳病予防会設立。 5.27 日本海海戦。 9.5 日露講和条約調印、日比谷の講和反対国民大会は暴動化する。 |