年表

新潟市医師会のあゆみ

明治43年(1910)
新潟市医師会及び新潟市内関係 新潟県医師会及び
新潟県関係
国内他

1.8 新潟市医師会春期総会、市役所楼上に開会。

 会長 長谷川寛治、副会長 長井千尋、幹事 中村庸、阿部玄四郎、木下文平、全員重任。

 県医師会出席議員、池原康造、澤田敬義

 予備員には竹山正男、長谷川寛治当選し議員に入る。

3.31 勅令第66号、文部省直轄諸学校官制改正により新潟医学専門学校創立。

 校長に池原康造、教授に富田忠次郎、澤田敬義を任命する。

5.19 ハレー彗星午前2時30分光芒極めて偉大。

6.29 新潟医学専門学校第一回生入学式挙行、入学生70名。

6.30 新潟市立新潟病院は6月30日限り廃院となり、土地建物はそのまま新潟医学専門学校附属病院となる。

 院長に富田忠太郎が命ぜられる。

6.26 新潟県医師会総会、商業会議所楼上に開会。

 会長に長谷川寛治、副会長に竹山正男、幹事に長井千尋、中村庸を指名し議事に入る。

7.8 新潟県「地方病規定」を定める(『北越医会々報』181号)。

9.8 大洪水、明治29年来の大洪水

 この年県内の結核による死亡者数は3,713人。

7.14 風俗取締令公布(娼妓等の愛の病院を道府県費を以って設立すべきことを定む)。

8.29 韓国併合、朝鮮総督府設置。

11.29 白瀬中尉、南極探検に出発(開南丸)。

9.12 新潟医学専門学校開学

10.1 新潟市上水道通水式。市民は初めて一荷幾銭と言える高価にして、非衛生的なる、黄濁の飲料水より免るるを得たり。

10.1 度々再度の大火で水道敷設問題起り、10月完成し消防機関も整備されて、禍根を減少させるに至れり。

10.23 私立新潟女子工芸学校、西堀通三番町に独立舎を完工落成式を挙行する。