大正9年(1920)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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1月 スペイン風猛威をふるう。多数の罹病者死亡者が出、特に沼垂、曽野木地方猖獗を極む。 3.1 市内に天然痘続発する。接種後5年を過ぎた者全部に種痘をなす。6万人に及ぶ。 4.22 従来の好景気の為か市内の芸妓の数増加す。新潟市306名、沼垂57名、長岡163名、柏崎96名、三条88名、燕88名、十日町87名、糸魚川140名と。 7.10 小山病院学校町二番町に開院、院長 小山元熈、内科・外科を主とす。 7.24 市の水道条例改正となり使用料平均5割の値上げとなる(基本料金は60銭)。 7.26 猛暑38.5℃新潟市測候所第二の記録。 9.22 新潟市医師会、新潟県医師会の会長であった長谷川寛治65才で逝去(食道癌)。 10.10 新潟医学専門学校創立十周年記念式行なわれる。 |
1月 第十三師団の主力シベリア出征。 7月 新潟―新発田間、新潟―大野間の乗合自動車が営業を開始。 10.1 第一回国勢調査実施、新潟県総人口百77万6千474人(男87万1千532人 女90万4千942人)。 新潟市の人口9万2千130人。 |
1.16 国際連盟(パリ)第一回理事会開催。 2.21 「学校医の資格及び職務に関する規程」制定。 3.15 恐慌始まる。株式市場で株価大暴落で大混乱(戦後恐慌はじまる)。 8.9 陸軍士官学校令、幼年学校令公布。 12.6 モルヒネ、コカイン及びその塩類の取締に関する省令を公布。 |