明治31年(1898)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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1.15 新潟市医師組合会、医師組合聯合会を起す案を可決し、会則草案を郡部各組合に照会する。同時に健康診査料の一局部の診査乙種は金五拾銭〜壹円に、生命保険診査の如き責任重きもの甲種は金壹円〜参円に可決する。 3月 新潟市に電灯ともる(新潟電灯会社が事業を開始)。 3.26 私立産婆学校創立。校長竹山屯 4.1 北越医会の会員総数413名内新潟市35名。 8.10 高橋辰五郎『助産婦新報』を創刊。 8.24 市立新潟避病院・開設(古町通十三番町砂丘上)。 8月 本町十四番町の新潟遊廓に、妓楼を集結せしめる方針を確立した。 10月 南浜通に修業年限2年の新潟産婆学校が設立せられ、元新潟病院長竹山屯が校長となる。之より産婆養成機関絶ゆるなし。 |
6.19 第一回新潟県医師組合聯合会、市役所に開会、長谷川寛治を仮会頭に推薦。新潟市より浅田決、長谷川寛治、高橋辰五郎、和辻春次、長井千尋出席す。議案説明委員は能勢眞朔、田代亮介なり、新潟県医師組合聯合会規則を確定し役員を決定する。会頭長谷川寛治、副会頭今井玄秀、幹事高橋辰五郎、田代亮介、長井千尋、能勢眞朔、松尾亀太郎。 12.27 北越鉄道、沼垂と直江津間開通し、東京―沼垂間の鉄道全通す。 |
1.12 勅令を以て公立学校に学校医を置く。 2.20 文部省令を以て学校伝染病予防及び消毒方法を定める。 2.26 「学校医職務規程」公布し学校医の資格を定める。 10.22 府県警察部に衛生課を置く。 11月 大日本医会、医師会法案を議会に提出するも、貴族院で否決される。 この年の夏新潟市は赤痢病流行猖獗を極む。 |