明治34年(1901)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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1.6 新潟市医師組合会、役員改選し、診察料(外来診察料1回金30銭〜3円)市内往診料(1回40銭〜3円、市外は1里に付き金2円以上)處方箋料(1通50銭以上)を議定せり。 3月 若杉喜三郎、市会議員に当選。 7.21 市内電話開通(加入数168)。 8月 新潟県尋常中学校を新潟県立新潟中学校と改称。 8.28 北浜病院開設。 9.6 学校町三番町山手で競馬大会開く(3日間)。 9.18 古町三番町から出火、104戸焼失。 11.1 第二次町村合併施行、この時赤塚、中野小屋、内野、坂井輪、石山、鳥屋野、両川、大江山、大形の各町村が誕生する。 |
7.14 県令第59号を以て、屋上の燃質材料を不燃質材料に改することを令し期間を10年と定む。 10月 愛国婦人会新潟県支部設立(日本赤十字社新潟支部内)。 12.11 県令第89号により「医会規則」を公布。 12.13 県令第90号「医師取締規則」を公布。 明治35年1月1日より施行。ここに医師法が制定されて、完全に医療制度の基礎が固まった。以後75年間多少の改正はあったが、この法律によって、医師個人としては勿論、医師会という団体として行動し、権利保全や種々の主張もして、又義務と責任を負わされる。 この法律に基いて、全国の医師会が郡市区単位で又県単位で結成される。 12.22 新潟県聯合医会臨時会 医会規則発布に付、郡市医会及県医会創立準備の為イタリア軒に開会。会頭 長谷川寛治、副会頭 長井千尋、幹事 能勢眞朔、長谷川一詮、亀倉正造、高橋辰五郎、田代亮介 |
3.2 愛国婦人会創立。 4.1 第一、二、三、四、五、各高等学校の医学部を独立し、千葉、仙台、岡山、金沢、長崎の各医学専門学校とす。 |