明治35年(1902)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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1.5 新潟市医会の成立。新潟市医師組合会は新潟市医会となり、会長に田代亮介、副会長に能勢眞朔、幹事に中村勇三郎、伊野宮貢、中村庸と決まる。規則は聯合医会立案のものと同じ。 4.30 古町八番町から出火、99戸焼失。 5.24 皇太子(大正天皇)新潟市に行啓、県会議事堂に3泊され、市の内外を見学される。 11.1 新潟税関を改め、横浜税関新潟支署とす。 11.4 萩野左門、市長に就任。 11.30 本町十三番町の熊谷小路に慈恵療院分院開院。 |
4月 篤志看護婦人会新潟支会を開く。 6月 新潟県医会の成立、会長 長谷川寛治、副会長 瀬尾原始、幹事 長谷川一詮、工藤秀一郎、長井千尋、高橋辰五郎、田代亮介 |
1.30 日英同盟協約調印 発効。 9.15 正岡子規僅か36才にて逝く。 |