明治41年(1908)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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1.6 新潟市医師会、鍋茶屋に新年会を開催。出席者20余名。 3.8 古町通八番町より出火、大火となる。焼失戸数1千198戸、市の中枢地の過半は烏有に帰し、竹山病院、若杉病院も類焼し、長谷川病院施療部、前田産婦人科医院、木下医院も焼失し、万代橋も焼失する。 7.17 新潟市医師会、通常総会は市役所楼上に開会され、会計報告ありて役員を決定する。 会長 長谷川寛治、副会長 長井千尋、幹事 中村庸、阿部玄四郎、木下文平、県医師会出席員 長谷川寛治、若杉喜三郎、県医予備員 池原康造、澤田敬義 7.26 私立新潟盲唖学校創立。 9.4 古町通四番町より出火、今年再度の大火となる。延焼2千122戸。市内有数の建物類焼する(市役所、警察署、郵便局、電話局、師範学校、神社)。 池原、澤田、工藤、長谷川一詮、須田の諸氏もこの災禍にあわれる。 12月 若杉喜三郎、医術研究のため独逸へ留学1年余、明治43年帰朝。 |
6.7 県下各郡医師会が設立されたが、県医師会を結成する気運熟し、県医師会組織会を新潟市役所に開催、代表21名。 |
2月 帝国議会に「脚気及び伝染病予防法に関する質問」提出。 6.1 陸軍省脚気病調査会を設置す。 6月 臨時脚気病調査会官制公布。 6.12 独逸細菌学の泰斗ローベルト・コッホ来朝。 10.7 中央慈善協会設立。 この年全国に痘瘡流行(死者4千265人)。 |
7.7 新潟県医師会認可される。 |
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11月 第十三師団高田に入る。 |