大正3年(1914)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
---|---|---|
4.1 沼垂町、中蒲原郡より新潟市に合併。 4.21 新潟市医師会、市役所楼上に開会。庶務事務の報告があり、役員は会長以下全員重任に決定する。 会長 長谷川寛治、副会長 長井千尋、幹事 中村庸、阿部玄四郎、木下文平 県医師会出席議員 長谷川寛治、布川興策 同予備員 工藤秀一郎、若杉喜三郎 9.21 澤田敬義 附属医院長となる。 9月 9月現在の新潟市の会員(北越医学会誌によれば) 11.16 新潟医学専門学校第一回卒業式を挙行し、池原校長は新卒者51名に卒業証書を授与する。長谷川寛治は新潟市医師会長として、また、県医師会長として二通の祝辞を朗読せり。 |
4.2 法第38号により医術開業試験について第二次改正。 4.16 坂仲輔、県知事着任。 8.14 大洪水、万代橋上に巨石を積んで流失を防いだ。 11月 岩越線(後磐越西線)全通、村上線(新津―村上)全通。 この年新潟市は新潟築港工事を計画した。 |
3.3 日本総合医師会創立総会、東京に開催。 7.28 第一次世界大戦起る(5年間)。 8.23 対独宣戦布告。 8月 ドイツ国、医薬品の国外流出を禁止し、この為輸入薬品高騰す。 9.14 生糸相場暴落す。 11.5 北里研究所創立。 11.7 青島占領。 |