大正5年(1916)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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2.25 長谷川病院に看護婦講習所ができて、指定看護婦養成所となる。 3.25 『学士会会報』第1号発刊。 3.26 若杉病院院長(内科)若杉喜三郎53才で逝去。新潟市会議長、市参事会員、衆議院議員であった功績大なり。 11月 布川病院移転、元若杉病院の建物全部を引き継ぎ同所に移転し診療に従事す。 12.22 池原康造、内科学(第一)教授逝去。57才(初代新潟医学専門学校長)、県医師会長 長谷川寛治、市医師会長 布川興策出席し追悼する。 12.28 櫻井市作、市長に就任。 |
5.1 長岡病院看護婦養成所、指定看護婦養成所となる。 6.2 北川信従、県知事着任。 |
8.3 工場法施行令公布。 10.9 寺内内閣成立。 11.11 大日本医師会創立総会(東京)北里柴三郎博士を会長として創立。新潟県よりは布川興策、瀬尾原始(高田市知命堂病院長)が上京出席する。 これで各地の医師会を全国的に統一するため大日本医師会が創立されることになる。 大日本医師会は、いまだ法的根拠をもっていなかったが、医師会規則に基づいて設立された地方医師会の上部団体としての機能を事実果すことになる。 12.9 夏目漱石没。 |