昭和32年(1957)
新潟市医師会及び新潟市内関係 | 新潟県医師会及び 新潟県関係 |
国内他 |
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3.2 新潟大学 恙虫・リケッチャ注射事件発生。 |
2.22 新潟県肢体不自由児施設(はまぐみ学園)の建設に協力(開業医1,000円)を決定。当時の県内対象者約6,000名。 |
1.29 南極 昭和基地設営に成功。 2.25 第1次岸内閣成立。政府、前回廃案の「健保法改正案」を再提出。 |
3.18 健保改悪反対総決起大会(国際スタジアム) |
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4.1 昭和32・33年度役員改選
昭和31年度決算 会員数 A174、B106、C117、計397名。 4.7 「市医師会無料健康相談所」設立委員会は、市内数カ所で、内・小児・外・皮膚・婦人・耳鼻・眼・精神の各科について検診を行い、治療行為は行なわないとした。 5月 新潟市内に、アジアA57型インフルエンザ大流行。 5.22 衆議院選挙に自民党公認・新潟市医師連盟推薦として、廣神伊藤・倉品克一郎の両医師が出馬を表明、一本化のため説得したが失敗して非公認の高橋清一郎が当選したが、両医師は落選した。 6.16 九日会(古町大橋屋)三遊亭円歌の落語。 9.17 新潟市医師会としより無料健康相談(日赤・聖園・済生会・中野財団・信楽園の各医療機関)実施。 10.15 市医師連盟・市医師会・市歯科医師会共催で市会議員7名を招き、単価問題について懇談した。国会陳情のため永井彦千代、岩城恵伍、2名上京。 10.18 新潟市議会、地盤沈下対策特別委員会の設置を決議。 12.29 宮浦中学校から出火、2階建ての校舎5棟、5132平方メートル全焼。 12.31 新潟港入港の外国貿易船、今年171隻で昭和30年の2倍。 |
3.18 国際スタジアム(旧両国国技館)において開催の健保改悪絶対反対医師・歯科医師合同総蹶起大会に新潟県より100名参加。 3.24 健保改悪反対大会(医学部大講堂)開催。 7.1 県医、丸山直友に記念品を贈る。会員一人一口100円3口以上 7.4 県医師特別国保委員会で医師国保を検討。 8月 大糸線全線開通。 9.12 第13回県医師会総会(医学部大講堂)。新生医師会十周年記念野球大会。 9.21 県医師会で「県単価問題協議会」開催。 9.25 県支払基金が減点通知を開始。 9.28 新潟県医師特別国保の発起人会発足。 10.1 検診その他の文書料の申し合わせ。 集団 10名以下80円 半日を要す 2,000円 種痘 個人 80円 百日ジフ 1名100円 ツ反応 50円 証明書 50円 死体検案 300円 11.1 「社会保険の浄化を目指す医師・歯科医師総蹶起大会」(医学部大講堂)開催。 12.22 「国保の医療を譲る新潟県医師大会」(医学部大講堂)開催。廣神・橋本・相沢以下150名参加。 12.26 県医師会に病院部を新設。 |
3.18 健保改悪反対総決起大会(国際スタジアムにて医師・歯科2万名)。 4月 厚生省、国民皆保険推進本部を設置。 4.1 結核予防法一部改訂 これまで薬剤の単独使用のみであったが、二者・三者併用を採用。 4.1 売春禁止法施行。 4.14 日医会長小幡惟清辞職 武見太郎公選。地域差撤廃をスローガンに闘争宣言。 4.25 衆議院解散。 4.30 保険医療機関・医療担当規則施行。 7.1 米駐留地上軍撤退開始。 7.1 初診時負担金100円、入院1日30円実施。 7.16 日医、単価問題に関する要望書を公表。 7.20 保険二重指定問題の健保法改訂案上程。 保険医が辞退しても、医療機関はそのまま。 8.2 臨時医療審議会の日医側委員全員が辞任。声明文を提出。 8.27 東海村に第1号原子炉完成。 10.1 5千円札発行。 10.4 ソ連スプートニク打ち上げ成功。 10.8 厚生省「レントゲン防護」に関する通達。 11月 健保法改訂案(保険医二重指定)可決、保険医療機関指定・保険医登録制度の発足。 11.1 健保改訂修正案可決に対して、日医、「社会保険の浄化を目指す医師・歯科医師総決起大会」を開催し、各県医師会にも指令。 12.11 百円硬貨発行。 |